七草の朝に気がついた自分の苛立ちを手放す方法

2016-01-07

小林 明美(こばやし あけみ)です。

 

 

今日は1月7日。七草の日。

七草粥は朝食べるものなんでしょうが、
我が家では、夫が朝はパンがいいらしく、

毎年、夕飯に七草粥です(^^)

最初のころはなんとなく違和感もありましたが

 

「ま、いっかー」と。

 

今年も夕ご飯に七草粥をいただきます。

 

七草も本来は「朝いただくべきもの」と強く信じてて
夕飯なんてあり得ない!!と思っていた時期がありました。

 

 

私の中には他にもいろいろルールがありました。

 

この料理にはこの食器を使う。
こういう料理の取り皿はこのお皿でなければならない。

 

とか、

 

 

まあとにかく、ルール決め事が多い人間でした(笑)

 

 

 

 

一言でいうと、こだわりが強かった。

 

 

 

 

こだわり・・・

「信念」「大切にしていること」ということですが、

 

 

 

 

これが強いと、その枠を外れた人を見るとイライラしてしまいます。

 

 

そのお皿じゃないでしょ!こっちでしょ!
なんでわかんないかなあ!もう!!とかね(>_<)

 

 

 

 

傍から見ると、どうでもいいことだったりするのに

人が私の「こうあるべき」から外れた行動をとることを
受け入れられずにいました。

 

 

 

 

 

知らず知らずそういうことありませんか?
あれ!?またわたしだけ?(*´ω`)

 

 

 

例えば仕事をする上で、

 

朝礼10分前には職場に来ているべき

誘われたら断ってはいけない

提出書類は、一言一句完璧でなければならない

 

 

というこだわりがあるとしたら・・・

 

 

きっと、毎朝ギリギリに走り込んで来る部下にイラつき、

得意先や上司からの誘いを断れず、自分の予定をキャンセルし、

提出書類に一か所でもミスが見つかったらイラつき、

 

 

 

 

そして、そんなふうにイラつく自分を持て余してしまう・・・

 

 

 

 

 

他の人の行動で何かが気になったり、苛立ったりするときは、

自分の中に、そのことについての「こだわり」があるときかもしれません。

 

 

 

もちろん、「こだわり」が全て悪いものではなくて、
きっと、何かあなたにとって役に立つための存在だったでしょう。

 

 

でも、今それが苛立ちの種になっているとするならば・・・

その「こだわり」を手放す時期がきたのかも(^^)

 

 

 

昔、人の小さなミスに苛立っていた私は、
自分にもとても厳しくて、
書類も何度も何度も見直して提出するようにしていました。
それでも、小さなミスは必ずあって・・・
人をゆるせないように、自分のこともゆるせませんでした。

 

 

 

でも・・・

自分への「こだわり」をみつけて手放すことで

気がついたら、
人の行動に対して少しは寛容になってきたように感じます。

 

 

 

誰でもが、自分と深く向き合う時間を持つことで

苛立つことがうんと減りますし、

苛立ったても、
ああ「こだわり」がここにあるんだ、って気づけるようになっていきます。

ある、と気づくことで余計な「こだわり」を手放していけますね。

 

 

 

今日もお元気で。

いつもお読みいただきありがとうございます。