庭の百合が「かっこいい」と思えた件

2015-08-10

おはようございます。

 

今日もセミの合唱で目を覚ましました。
古い住宅街にある我が家の庭は、

ずいぶん前から、
セミの一大繁殖地のようで(笑)

お隣やご近所のお宅より
セミの声も数段ボリュームが高いです。

 

 

 

 

今朝、庭に出ると
植えた記憶のない百合の花が満開に咲いていました。

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両親が残した庭を、夫が丁寧に維持管理してくれているので、
私は、もっぱら鑑賞役(笑)

 

ありがたく、
「きれいねー」
「あそこに、つぼみが付きだしたね!」

「なんか、あの木、元気ないみたい」

 

と、好きなこと言ってます。

 

 

 

私たちは、何故か

『どうせ私なんか』と自分の価値を下げて見たり、

 

足りない部分を補おうと『無理やり頑張ってしまう』とか、

 

きらわれないように、『他人に合わせ』たり、

 

自分の正しさを認めさせようと
『他人を攻撃し』てみたり、

 

人生がうまくいかないとき、
そんなことを気付かないうちにしていることがあります。

 

 

 

私もいろんなことをして、

なんとか、思い通りの人生になるようにと

自分をあの手この手で守ろうとしていました。

 

根拠、原因がわからないまま、

人と比べて卑屈になったり、
妙に傲慢になったり、

 

やることすべてが空回りしているような毎日。

 

 

 

 

私の場合、

家の外での「卑屈さ」は、
家の中で、夫への「傲慢」な態度を招きました。

なんだか、なにをやってても苛立って、
些細なことで、夫に文句をいい、

そのくせ、自信のない、
「認められるにふさわしい私になりたい」と
もがいている私がいました。

 

 

自分を覆っていた
「思い込み」や「役に立たない価値観」を

ひとつひとつ、手放して
自分を解放しながら、

すこしずつ、自分の内側にあった、
本当に大切にしたい思いや価値観が

表に現れてきます。

 

自分を認めることができるのは自分自身。

 

自分と向き合うことを知った今では、

どんな自分も愛おしいと思えます。

 

夫との間も
苛立つことが本当に減り、

不平不満なく、感謝できる毎日になりました。

苛立っていたのは
自分に対して。

それが、夫への苛立ちとして表現されていました。

 

 

 

 

この百合の花、

庭全体からすると、唐突です。

 

雑草です。

 

でも、どこか凛として

私がいるところが私が咲くべき場所、と

 

私は私であっていいと貫いている様

 

胸張って咲いているのを見て、
「かっこいい!素敵」と、写真に収めました。

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何故か横向き(笑)