封印した思い

2015-07-09

今日も窓から入る夜風はさわやかです。

日中は真夏の日差し。
いよいよ本格的な夏も間近。

よし来い、暑い夏!!

今年は暑いのも楽しめそうです(^^)

 

 

 

さて本題、
これはとても個人的な経験です。

言葉にするのが難しいけれど、
とても大きな転機になった内面的な出来事です。

どうか伝わりますように。

 

気が付かないうちに「無い」ことにしていた感情が、
実は「あった」ことに気がつき、

過去のその感情、思いが「あった」こと、
そう思う自分を認めた、赦したことで、

今の自分自身が、
自然に楽にありのままの自分にOKが出せるようになった経験です。

 

 

ある時、どうしようもなく自分を責めたててたとき、
センタリングと深い呼吸の後、
落ち着いた状態を作って、自分を客観的に見てみると

「かわいそう」「もういいよ」って言葉が
自然に思い浮かんできました。

何がもういいのか、
何がかわいそうなのかわからなかったけど、

 

その直後、
過去に我慢したことに気付かないままだった思いが、

わーーーーっと浮かび上がってきました。

 

まるで、海底に沈んでいた、閉じていた箱の蓋が開いて、
中から、ぶわーあああーっと、
噴き出したかのよう(笑)

 

 

 

それは、9年ほど前、
生活のすべての主軸を「両親」に移した時に
封印した私の思いでした。

 

両親は二人暮らしでしたが、母が認知症を発症して
二人だけでの生活を続けさせるのは困難になり、
何の選択の余地もなく、仕事もごくごく縮小し、
生活の大部分を介護を含めた両親の世話に当てました。

 

仕事や、心理学などの学びも止めて、
生活を「自分のしたいこと、大切なこと」から
「両親のための時間」に優先順位を変えました。

 

その選択そのものに後悔はありません。
介護看取りをやり切れたことに喜びがあります。

 

でもね、
本当は続けたかった仕事や学びを続けたいと

思うことを

「思っちゃいけない」、
「悲しんじゃいけない」、
「悔しがっちゃいけない」

 

親を看るのは当然のこと、

「自分のことを優先したいと思うことが罪悪」

と思い込んで、
自分の本当の思いに蓋をしてしまった。

 

 

そんなこと、
もうすっかり忘れてしまっていたことなのに、

責めたてていた自分を客観的に見ることができたとき
その時の感情が一気に出てきました。

 

その封印してきた思いをもう一度十分に味わい、
十分に吐き出しました。

 

十分にその感情を受け入れ、そう思う自分を赦したとき、
すとんと心が落ち着き、
一つ何かが変わったようになりました。

 

自分を
「いい悪い」の評価を外して見ることができ、

 

一見自己中心、けれど、
心からやりたかったことをいったん手放す
悲しさ、悔しさといった思いを持っていた自分を認めたことで

今の自分を無駄に責めることが本当に減り、
そこをきっかけに、様々な日常が豊かに変わり始めました。

 

 

無いことにしていたけど、ずっと抱えていて
私の一部分として存在し続けていた
「思ってはいけない」としていたことがありました。

そんな思いがあったことを、
私は全く忘れていた、というか、

持っていたことに気付いていませんでした。

 

 

 

私たちは、
深い無意識の中に、すべての答えを持っています。
その「答え」にアクセスして
軽やかに、楽しみながら
止めているブロックを解放していきます。

あなたがあなたでいることを応援します。