七草の朝に気がついた自分の苛立ちを手放す方法

小林 明美(こばやし あけみ)です。
今日は1月7日。七草の日。
七草粥は朝食べるものなんでしょうが、
我が家では、夫が朝はパンがいいらしく、
毎年、夕飯に七草粥です(^^)
最初のころはなんとなく違和感もありましたが
「ま、いっかー」と。
今年も夕ご飯に七草粥をいただきます。
七草も本来は「朝いただくべきもの」と強く信じてて
夕飯なんてあり得ない!!と思っていた時期がありました。
私の中には他にもいろいろルールがありました。
この料理にはこの食器を使う。
こういう料理の取り皿はこのお皿でなければならない。
とか、
まあとにかく、ルール決め事が多い人間でした(笑)
一言でいうと、こだわりが強かった。
こだわり・・・
「信念」「大切にしていること」ということですが、
これが強いと、その枠を外れた人を見るとイライラしてしまいます。
そのお皿じゃないでしょ!こっちでしょ!
なんでわかんないかなあ!もう!!とかね(>_<)
傍から見ると、どうでもいいことだったりするのに
人が私の「こうあるべき」から外れた行動をとることを
受け入れられずにいました。
知らず知らずそういうことありませんか?
あれ!?またわたしだけ?(*´ω`)
例えば仕事をする上で、
朝礼10分前には職場に来ているべき
誘われたら断ってはいけない
提出書類は、一言一句完璧でなければならない
というこだわりがあるとしたら・・・
きっと、毎朝ギリギリに走り込んで来る部下にイラつき、
得意先や上司からの誘いを断れず、自分の予定をキャンセルし、
提出書類に一か所でもミスが見つかったらイラつき、
そして、そんなふうにイラつく自分を持て余してしまう・・・
他の人の行動で何かが気になったり、苛立ったりするときは、
自分の中に、そのことについての「こだわり」があるときかもしれません。
もちろん、「こだわり」が全て悪いものではなくて、
きっと、何かあなたにとって役に立つための存在だったでしょう。
でも、今それが苛立ちの種になっているとするならば・・・
その「こだわり」を手放す時期がきたのかも(^^)
昔、人の小さなミスに苛立っていた私は、
自分にもとても厳しくて、
書類も何度も何度も見直して提出するようにしていました。
それでも、小さなミスは必ずあって・・・
人をゆるせないように、自分のこともゆるせませんでした。
でも・・・
自分への「こだわり」をみつけて手放すことで
気がついたら、
人の行動に対して少しは寛容になってきたように感じます。
誰でもが、自分と深く向き合う時間を持つことで
苛立つことがうんと減りますし、
苛立ったても、
ああ「こだわり」がここにあるんだ、って気づけるようになっていきます。
ある、と気づくことで余計な「こだわり」を手放していけますね。
今日もお元気で。
いつもお読みいただきありがとうございます。