子どもを持たないという選択「決める」ということ

2019-06-08

みなさま
こんにちは

小林明美です。

 

私には子どもがいません。

 

私たち夫婦にはある事情があり
「自然に子どもが授からない」という事実がありました

 

なので一時期
かなりの時間とエネルギーをかけて

今でいう「妊活」やってましたけど、 

 

一回の顕微授精でもうヘトヘト 

受精卵を一旦体内に戻したけど
着床せずで

 

2回目の顕微授精のために
クリニックに行って
一人で待合室で待ってる間に

何でだろう
今でもなぜかわからないんだけど
号泣しちゃったんですね

 

 

その後、
婦長さん(師長さん)のカウンセリングで
何か色々言ってくださったと思うんだけど

そこは当時最先端の医療が受けられ
メンタル面にも配慮した素晴らしいクリニックで

顕微授精受けたければ
福岡ではここしかない、というお医者様

素晴らしいところでした

 

 

そのカウンセリングの途中で

「あのすみません、帰っていいですか?」

って帰ってきちゃいました 

 

 

 

そうだ! 

泣きながら「もうやだ、無理」って思ったんだ

今思い出しました!!

 

で、家で夫に「ごめんなさい、妊活やめたい」

って言って今に至ります。

 

 

 

結構、心身に負担だったんですよ

正直私は不自然にも思った

何より一旦受精した命が
育たなくて流れてしまった事実

 

 

この先、 
どうしても子どもが欲しかったら
自分が生んだ子じゃなくてもいいじゃないか 

そんなこと思った記憶があります 

 

平成一桁時代のこと
ずいぶん昔のことです

 

 

この瞬間に私は

「子どもができない」から
「子どもを持たない」に変わりました 

 

受動的な受け身的な状態から、
自分で人生を選択した「決めた」

とても強く覚えています

 

 

「お子さんはまだ?」と
挨拶がわりに聞かれた時代 

デリカシィーのかけらもない笑
そんな頃


ええ、ええ
私もいろんな人に会うたび聞かれましたよ

 

 

自分で決めたから
「ええ、うち子どもできないんですよ(^ ^)」

胸張って言ってました

 

親戚のおばちゃんで合うと必ず聞く人もいたけど
笑って返してた



今でも聞かれますよ普通に
「お子さんは?」って(^ ^)
別にデリカシィー有る無し関係なく

 

 

 

デリカシィーがないって思うのは

 

こちらがデリケートなこと
思いやってほしいことって

思ってるからであって

 

受け取る側が
何とも思ってなければ
平気でいられること、だったようです

 

 

もしも、私が
もう少し顕微授精がんばってみる!!

って決めてても同じように 

 

「おばちゃん、簡単にうちはできひんねん、
そやから、今病院通うてんの」

って堂々と言えただろうな 

 

 

決めるって強い

誰かの価値観で生きる必要なく

自分で決めた道を笑って進む 

 

 

決めると次の道が開きます

決めると自然と体が動く

実は無意識に私たちはいろんな事
「決めて」生きている

 

「決める」と
自分の思いの通りになっていくんです 

「決めて動く」を意識する

 


小さなことから
「決めてやる」っていいエクササイズかも

・布団の中で「さあ、起きる」って決めて起きる
・ランチは〇〇を食べるって決めて食べる
・一駅前で降りて歩くって決めて歩く

 

いつもやってることを
「決めてやる」
 

 

もしかして、あの頃
自分で「決めず」に周りの声だけに合わせてたら

今ごろどうだったろうなって思います 

 

私は嫌だった不妊治療を

自分で決めずに「させられてるから」って
しんどい思いしても「仕方ない」って
諦めてやってて

孫を見せるべき、
子どもは産むべき
頑張らなきゃ!
だったら

文句たらたらの人生だったと思う
間違いなく不満をあちこちにぶつけてた

子どもを授かっても
授からなくても

ここは一緒

周りに言われて
周りに期待されてるって思い込んで
自分を横に置いてる状態

 

今、不妊治療を「決めて」
目標に向かっていらっしゃる
未来のお母さんたちに
エールを送りつつ

 

自分の人生、
自分で決めよう

答えは常に自分の中にある

決めたら前に進みます(^ ^)